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友人として

菜の花畑

ひょんな事から
障害者施設の方々と
ひょんな事になって
ひょんな感じだったのが
いまはわりと
ひょんじゃなくなって

利用者さんの方々と
週に一度ほど
一定の時間を過ごすようになって
初めに伺っていた状態とは
まるで違っていると気がつく

主に
利用者さん方々の
感情や思考や意思や意図や
まあそういう総じて人格のこと

それを
ほとんど持っていないようにも
聞いていたのだけど

まあ当たり前に
そんなはずもない

介護や
見守りに関わる誰かを
好きだったり嫌いだったり
いなくなれば
また会える日を心待ちに
しているような

感情を抑えきれず
叫ぶこともあれば
その内には
周囲に理解してほしい
感情もある

現場では
スタッフと利用者さんとの間に
致命的なズレがあるようにも
思えて

スタッフ側は
システマチックに
デジタル感覚で
理解し難い部分を
切り捨てているような
そんな気さえする

あるいは
頭ではそんなことはないと
わかっているのかも
知れないけれど

「業務」的に
そこまで思考を
割いていられないと
割りきっているのか

まあわからない
各自の考え方も
あるのだろうけど

洗濯物を
一緒に干しているとき
夕食のときや
就寝までのひととき

いくつもの会話をして
いくつかの作業もして

意図をさぐり
意図をさぐられる

洗濯機から
洗濯物を取り出しながら
僕のあくびが止まらず
フワフワフガフガと
あくびまじりで会話を
していたら

利用者さんも
ふわぁああああと大あくび
ああ!うつっちゃったよ〜

なんて
一緒に大あくびしながら
だって眠いよねぇ〜
と二人で笑ったり

夜遅くまでなかなか寝ずに
自分の日課に勤しむ利用者さんに
そろそろ1時(深夜)だから
もう寝ようか、というと

サト、、ジン、、さん、、
まだ寝ない、電気消す、、
と言われて

まあそんな日もあるさと
一緒にだらだらしていたら
麦茶を淹れてくれたり

翌朝、
お出かけするみんなを
見送っていると

また来週、、会う、、
と言ってくれたり

今度は
いついつだね、
行ってきます、
と言ってもらえたり

その施設の玄関は
ちょうど朝の太陽の
逆光気味に差し込むかたち

空気の入れ替えに
網戸にしていた玄関の
その向こう

キラキラと
ソフトフィルターの
かかったような

朝陽のこもれる
朝靄に包まれているような

どこか切なくも
美しいワンシーンの中

身体を斜め前に向けて
顔だけやや振り返って

玄関の段差の上の
僕を見上げるように
それを言われると

今生の
別れのようにも感じられて
ああもちろん!また来週ね!

とか少し
胸が熱くて
泣けそうにもなる

なんでもない
お出かけなんだけどね

当のご本人は
ビンゴゲームをやりに行くとか
イベントを観に行くとか
そんなあれなのだけど、、

なんか切ない、、

歳は人生も半ば
スタッフは入れ替わって
利用者さん同士も僕らにも
寿命もあって

いつかくる日々は
みんなにとってどう感じるのか
この先の一生を
どのように過ごして行くのか

誰しもが
等しく歳をとって
行くわけだけど

世界を
自分で広げることの
難しい人たちにとって
関わってくる誰かは
福祉関係者が主になるのか

それでは
業務としての範囲でしか
携わらないと言うことに
なるのか

一緒に出かけたいと思えば
ガイドヘルパーの資格がなければ
とも聞いて

もともとの
友人関係として出会えたなら
そんな資格やルールに
行動を限定されることも
なかったのかなとも考えてしまう

自身の幸せは
その本人の感じるものだから
されてお節介なこともあるし
こんな世界もあるんだと
嬉しくなったりもする

もっと自由な関係性と
本来、誰もが持っているはずの
無限の可能性を
一緒に味わえたら好いのにな

僕は
その筋の素人だから
ピュアなことしか
まだわからないけれど

それでも
考えずにはいられない

もしいつか
日本を出る日がくれば
しばらく会えなくなって

一緒に大あくびして
笑い合うことも

一緒に夜更かしして
麦茶を飲むことも

当面は、
もしくはもうずっと
出来なくなるのかも
知れない

僕はもっと
仲良くなって

できれば
頼れもする友人として
お互いのいつかの日まで
笑ったり語らったり
して行きたいと思う

玄関の朝靄は
僕がいてもいなくとも
毎朝に美しく
こもれるのだろうけど

ただ数十年の
限りあるこの世界にて